ハマムラ株式会社の求人・採用情報

京都中華の源流/70年以上の歴史ある老舗中華料理店運営【50歳以上積極採用中!】
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中華料理店調理場での調理・調理補助(50歳以上も活躍中)

ハマムラ株式会社 (企業詳細) / 調理師・調理補助・料理長 /正社員

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給与
年収300万円〜400万円
勤務地
京都府京都市南区 / 京都駅 徒歩10分
  • 50代活躍中
  • 副業可能
  • 制服あり
  • Web面接可能
  • 学歴不問
募集期間: 応募集まり次第終了更新: 2023年11月22日
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企業情報

50歳以上の方へメッセージ

ハマムラ株式会社では、1年以上前にからシニア世代を取り入れ始めました。 現在50代6名が在籍しており、過去には52歳スタッフの採用実績があります。 今後もベテランシニア世代の採用を取り入れていく方針です。 また弊社は定年制を廃止ししており、希望者であれば生涯現役が叶う点も私達の特徴でもあります。 採用において年齢のみを見て判断せず 明るく接する事ができ、ガッツのあるタイプの方でしたら きっと弊社の風土にも慣れて頂けると思いますので、年齢に気負いせずご応募ください。 入社後は、OJT形式でベテラン社員が業務をお教えします。 ぜひ徐々に仕事になれて、若手スタッフと共にいい職場作りを行って頂ければと思います。

事業内容・会社特徴

京都の中華料理は、どこか「やさしい」。一説によると、花街のお座敷ににおいを持ち込まないようにと、「あっさり」「薄味」が定着したという。 京都に中華料理店が産声を上げて約100年。独自の進化を遂げた「京中華」のルーツと今を紹介する。 【京中華の歴史】 1924年:濱村保三氏が「支那料理ハマムラ」を祇園で創業 1926年:「桃園亭」が河原町で創業 1937年:日中戦争開戦 1938年:「新福菜館」が京都駅近くで屋台営業 1939年:「中華のサカイ」が大徳寺近くで創業 1947年:「ますたに」が北白川で創業 1956年:「本家第一旭」がラーメン専門店として営業 1966年:府中華料理生活衛生同業組合が設立 1967年:高華吉氏が「鳳舞」を北区紫明通で開業      「餃子の(ギョーザ)王将が四条大宮に1号店開業 1971年:「天下一品」が北白川で屋台営業 1972年:日中共同声明 1975年:濱村保三氏死去 1979年:高華吉氏死去 ■斬新なPRで有名に 京中華の出発点には、2人のキーマンがいた。 1人目は、濱村保三(1889〜1975年)。名店「ハマムラ」の創業者だ。 京都に長く住む人なら一度はロゴマークを目にしたことがあるに違いない。 その経歴は一風変わっている。 京都市に生まれ、父のサーカス興行を手伝うため18歳で渡欧。 ドイツを拠点に巡業する中、各地にあったチャイナタウンで出会ったのが中華料理だった。 第一次世界大戦の拡大で日本に戻り、1924年(大正13年)、祇園(縄手通四条上る)に京都発の本格的な中華料理店「支那料理ハマムラ」を開店。 ただ、開店直後は「臭い、辛い、脂っこい」と酷評され、苦戦を強いられたらしい。 濱村の孫で、ハマムラの現会長・弓倉和夫さん(79)は、「当時、日本では中国に対する反感も強く、すぐには受け入れられなかったようだ」と話す。 アイデアマンでもあった濱村は、一計を案じる。 手始めにロゴマークを募集。「ハマムラ」の字を横顔に見立てた立命館大生のデザインを採用した。 さらに、祇園の芸者や舞妓を「総揚げ」し、試食会を開催。 果ては、軽飛行機を飛ばして空からビラをまいた。 斬新なPRが功を奏し、ハマムラの名は京都中にとどろいた。
平均年齢
40 歳
男女比率
男性:3 割 女性:7 割
仕事に慣れるまでの制度
  • OJT形式
  • ベテラン社員が教える
求めるシニア像
  • コツコツ仕事が出来る
  • ガッツがある
  • 業界の豊富な知識
  • 明るいタイプ
50歳以上の勤務状況
  • 50代 6名在籍中
  • 60代 過去在籍あり
50歳以上の採用実績
採用実績あり
入社時年齢: 52歳
50歳以上の平均勤続年数
8年
最高年齢
57歳
定年
なし
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事業の強み

この時期、濱村は腕利きの中国人コックを探し、日本各地を巡っていた。そして、一人の男と出会う。 ■中国人コックスカウト 2人目のキーマンは、広東省出身の高華吉。 きょうだいが多く、「口減らし」のため若くして日本へ渡った。神戸の料理店で下働きしていたところを濱村にスカウトされた。生年ははっきりしないが、当時は30歳だったようだ。 大工仕事が好きで、まじめだけどどこか憎めないキャラクター。 日本語は片言で、いいことは「ハカセ(博士)」、悪いことは「フリョウ(不良)」の一言で終わらせていたという。 料理長に就いた高は、客のリクエストに応じ、自在にアレンジを加えていく。 ニンニクや香辛料は控え、昆布と鶏がらをミックスしたスープを使った。 「腕は確かだが、いい意味でプライドがない人。それが良かったのかもしれません」、弓倉さんも、高の作る料理が大好きだったという。 ハマムラの初期のメニューを見せてもらった。 「焼賣(いろいろのものを入れて蒸したもの)弐拾銭」 「揚州窩麺(五もくそば)五拾銭」 できることなら一度、その料理を食べてみたかった。 -食べれられるのである。 戦後に独立した高は、「飛雲」「第一棲」「鳳舞」といった名店を次々に出店。 今は閉店しているが、その味は弟子たちの手によって多くの店に引き継がれている。

会社概要

会社名
ハマムラ株式会社
所在地
京都府 左京区 下鴨中川原町55番地の5
業界
サービス・医療福祉・教育 > フード・飲食・レストラン
特徴
  • 女性活躍中
  • 退職金あり
資本金
2000万円
設立
1947年
株式公開
非上場
代表者名
代表取締役社長 弓倉 多佳夫
代表者年齢
51歳〜55歳
従業員数
45 人
過去売上
2020年 2億円